メッセについて思うこと

メッセは不思議だ。早く寝ようと決意を固めていても、簡単にそれを弾き飛ばしてしまう。一度メッセにログインしてしまえば、その直前までに練っていた計画は音を立てて崩れてしまう。これがメッセクオリティというやつなんだろうか。そんなの聞いたことないけど。
人と会話をするのは楽しい。でも僕は余り意味のないを会話をするのは好きじゃない。僕が楽しいと感じる会話は、概して自分にとって意味があると思える会話である。話題は別に何でもいい。話に参加する人たちが興味を持てることであればほんとに何でもいい。自分の思うことを話して誰かに聞いてもらうのはとても大切なことだし、またそれと同様かそれ以上に、人の話を聞いてそこから考えることもとても重要である。
基本的に一方通行な会話には余り意義を感じられない。誰かがただベラベラと自分の話題だけを吐き出してるような会話は面白くない。それは僕にとって意味のない会話だ。だからそういう会話はつまらない。
分かりづらい会話もつまらない。会話は話に参加している人たちが、それぞれの言っていることを理解できるようでないといけない。そうでないと要らぬ誤解が生じたりして、後々面倒なことを引き起こしたりする。会話を分かりやすいものとする為のコツは、相手の反応をよく見ることだと思う。丁寧に相手の呼吸を読んで話をすれば、きっと大きな誤解は生まれない。一気にまとめて話した方が分かりやすいときもあるし、短く区切った方がいい場合もあるが、どちらにせよ、分かりやすい会話の為には、相手からのレスポンスを確認することが必要である。
基本的には、上記のニ点を満たしていれば、それは僕にとって何かしら意味のある会話となる。そういう会話をするのは楽しい。
実際に会って話をするのと電子的な会話をするのとには大きな違いがある。それは話をする相手の姿が見えるかどうか、ということだ。もちろん話し相手の姿を確認できる方が、そこから得られる情報は多くなる。でも逆に、情報が多くなると大事なところが見えにくくなってしまったりもする。だから僕は、言葉だけの会話がそうでない会話に劣っているとは考えない。文章だけで伝える方が、案外分かりやすいことってあるはずだ、と。すごく大切な話、例えば悩みなんかを話すときに、文章だけの会話の方が分かりやすいってことがあると思う。話す内容によっては、実際に会って話すよりも、メッセの方が意味のある会話になりやすいことがあると思うのだ。だから僕はメッセが好きなのかもしれない。
思えば僕がインターネットの世界に足を踏み入れて、すぐにハマったのがチャットだった。チャットとメッセはとてもよく似ている。実際、僕のメッセの交遊録はその当時のチャットに依るところが大きかったりするわけで、MSNチャットで遊んでいたときを、なんだかとても懐かしく思うのである。